南フランスプロヴァンス地方に点在する、約800年前に建てられた3つのシトー会の修道院。
「セナンク修道院」「シルヴァカーヌ修道院」「ル・トロネ修道院」。3つ合わせて「プロヴァンスの三姉妹」と呼ばれています。この3つの修道院を巡ることは今回の旅の主な目的のひとつでもあり、人気の少ない山道を登って訪れた修道院は、旅のラストを飾るまさに山場!でした。
Gordesゴルド村から北に山道を行くこと約5キロ、最初に訪れたのはセナンク修道院。人里から離れた山の間に、ひっそりと建っています。建てられたのは1160頃-13世紀初頭、プロヴァンス三姉妹の中では次女にあたります。
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「修道院を都市や村落に建ててはならない。人里離れた、往来しがたい場所に建てること」というのがシトー会の規則。
現在でも交通の便は決していいとは言えず、車がなければ訪れるのに丸一日はかかるという立地ですが、そのおかげで、約800年経った今でも周囲の環境も含めて当時とほとんど変わらない姿を保てています。
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目の前は一面ラベンダー畑になっています。セナンク修道院といえば、一面のラベンダーに囲まれた風景が有名ですが、まだ冬なので咲いておらず…。
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教会堂入り口。
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教会堂
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シトー会の修道院は、「暗闇」に重きを置いているような気がします。そこに差し込むわずかな光が大切に扱われている。
そして、セナンクに来る前に同時代に建てられた教会をいくつか見てきましたが、それらと比べると石の積み方が非常にきれいです。表面がぴしっとそろっていて、石の角も肌を切られそうなくらいくっきりと立っています。
この修道院を作ったシトー会は、1098年に創設された新興の会派で、当時主流であったクリュニー会の贅沢主義とは生き方を異にし、貞潔・清貧・服従を旨とし、規則を厳格に守る会派だったらしいです。その厳格さが、空間全体からも感じられました。
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修道士達の寝室。毎夜ここに枕を並べ、晩の8時に寝て夜中の2時前には起きていたそうです。
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中庭を囲む回廊。
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回廊から、教会堂を見る。
一生を修道院で送る修道士達にとって、回廊は唯一外界と接することができる場でした。
その厳格さゆえに、シトー会士で28歳を越えて生きる人はまれであったそうです。それもそのはず、食事は一日に1度か2度、雑穀の黒パンと味付け無しのゆで野菜のみ、量もわずか。寝るときは温かい布団などあるはずもなく堅い床に雑魚寝をし、過酷な労働と飢えに苦しむ生活でした。普段は言葉を交わすことも許されず、夜は教会堂に集ってマリアをたたえる歌を唱和していました。そして、誰かが息を引き取るときだけは、全ての作業をやめてその周りに集い、兄弟の死にゆく姿を静かに静かに見守ったといいます。
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帰って来てから、あの空間が語りかけるように心に響いてきたのはなぜだろう、と考えていたとき、昔、映画「おくりびと」で出てきた「石文(いしぶみ)」という行為を思い出しました。
「石文」とは遙か昔人が言葉を持たなかったころの、自分の想いを相手に伝えるための手段のひとつで、言葉のかわりに「石」を渡したのだそうです。贈る側は、色、形、感触など無数にある石の中から自分の気持ちにピッタリの石を選び、石に心を吹き込む。もらった側は、その石を見て、相手の感情や気持ちを読み取るのだそうです。映画では、主人公が妻に送るための石を、しっかりと握って思いを込めている姿がとても印象的でした。
道ばたに落ちていたにすぎない一つの「石」が、贈られる人にとってかけがえのないものとなるのは、その石の背後に、贈ってくれた「人」を感じることができるからだと思います。
この修道院でも石文と同じように、装飾をそぎ落とした空間や端正に積まれた石、その風化した表面を見ていると、遙か昔のシトー会士達の祈りの情景やその思い、人柄や彼らの生活が自然と思い浮かんできました。
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石の表面には、当時この石を切り出した石工達が刻んだイニシャルがいくつもあります。こんなところからも、当時の人々の姿が目に浮かんできます。
「人」を感じさせる空間だった、と思います。
その理由を、もっとうまく説明できればいいのですが…
思い返せば、これまでに心から共感した、あるいは感動した物や建築はほとんどがそういうものだった気がします。つまり、「人を感じられるデザイン」になっていた。
物自体も美しいけれど、実はそれ以上にその背後に感じられる「人」に心を惹かれている。こういうことって、建築に限らずけっこうあると思うのです。
カイロの夜景でもそうでした。心打たれるものの背後には、必ず「人」がいるんじゃないか。セナンク修道院を思い出しながら、そんなふうに感じました。