オタニエミの教会。ひっそりと、林の中に佇んでいます。ちなみにこれは秋の頃の写真。
タピオラの教会では"太陽の光"が主役でしたが、今度は"森"が主役。
中に入ると森は窓に切り取られて、十字架を挟んで対面するようになっています。森に向かって祈ることになります。森はフィンランドの人たちにとって大切な神聖な場所。。太陽といい森といい、フィンランドの人達にとって、自然がいかに大きな存在であるかがわかります。
ちなみにこの構成…どこかでみたような?と思う方もいるかもしれません。あの安藤忠雄が「水の教会」を設計する前にこの教会を見て、インスピレーションを得たと言われている…らしいです。
天井を見上げる。
祭壇の反対側、上の方から光が入ってきている。
天井は木を使ってはいるものの、キチッとした幾何学的な表現になっています。窓を通してみる自然と、この幾何学的な構成の対比がお互いを引き立て合うような。
この屋根の下で十字架ごしに切り取られた森をみていると、いつも見ているはずの森が、なんだかいつもと違って見えてきます。
ふと、少し前に読んだレイヴィスカの言葉を思い出しました。それはレイヴィスカが建築の目的について述べた文章で、読んで以来ずっと心に残っているものです。
「建築と音楽は同じテーマを異なる言葉で表現しているに過ぎない。どちらも、人間の理解を超えるこの無限の宇宙に、私たちが経験できる人間スケールの空間を創造することが目的である」
最初にこれを読んだときはいまいちピンとこなかったのですが、読んでからというもの、ノドに刺さった魚の骨のようにずっと心に引っかかっていて、建築を見に行くたびに思い浮かんできました。この言葉を自分なりに、自分がわかりやすく実感できるように、ひとつのたとえ話を考えてみました(笑)↓
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あなたは何人もの演奏者が、思い思いにいろんな曲を練習しているひとつの部屋にいます。(オケの人は、合奏前のオーケストラの部室をイメージしてくれれば、まさにそれです)
彼らが奏でている旋律はそれぞれ違って、"太陽の光"や"森"、あるいはその国の"歴史"や"文化"だったりするのですが、いろんな音が部屋にあふれてすぎていて、それはもうぐちゃぐちゃで何がなんだかわからない状態です。
そこへ建築の設計者がやってきて、彼らのうちの何人かに声をかけ、あなたを彼らと一緒に隣にある別の部屋へ連れていきます。そして扉を閉め、おもむろに自分の楽器をとりだして、彼らと一緒に合奏をし始めます。この楽器が"建築"かな、と思うのです。合奏が始まると、前の部屋ではなにがなんだかわからなかった音達が、ひとつひとつとてもクリアに、意味のわかる音として聞こえてきます。ひとつひとつの音の綺麗さに改めて気づかされる感じです。そしてそれぞれの音が互いに響き合って、美しい音楽として聞こえてくる。
レイヴィスカの教会を初めて見たときも、まさにそんな感じでした。「ああ、太陽の光ってこんなに美しかったんだ。」と。
その太陽の光の中で、祈る人たち。
人々の営み、太陽、そして建築が奏でる、ひとつの音楽のように感じました。
最初の部屋にあふれているのは、ひとクセもふたクセもある一流の奏者達ですから、建築の設計者にとって、その中から誰を選び、どうまとめていくかは、とても骨の折れる大変な(でもそのぶんやりがいのある!)ことだと思います。設計者が誰を選び、どうやってうまくまとめているかを考えるのは、建築を見るときのひとつの楽しみですね。
こんなふうに、建築を音楽に例えて見るのが最近おもしろいです。
そして僕も今まさに、設計課題で"自然"という超一流奏者が奏でる"フィンランドの太陽"との合奏に悪戦苦闘しているところです。彼女(彼よりも彼女かな、と思う)と一緒にきれいな音楽を奏でることができれば、言うことはないのですが。
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